PERSPECTIVES Vol.1:【後編】「Different」の追求と長期利益の論理 ── 合意形成のインフラへ
ビジネスの合意形成を科学し、組織の意思決定の背景にある思想に迫るインサイトメディア『Journal』。その対談企画である『PERSPECTIVES』では、Hubble経営陣が各界のトップランナーを迎え、ビジネスの大きな潮流のなかで、「普遍的な問い」を提示していく。
経営学者の楠木 建氏を迎えた本対談。前編では、「SaaS or AI」に代表されるカテゴリー思考(大雑把な分類)の危うさを排し、生成AIの本質がデータの中央値へ向かう「平均回帰」であること、そしてその出力に盲目的に人間が依存することによる「理解負債」のリスクについて切り込んだ。
続く後編となる本記事では、その議論をさらに深め、目先の機能比較のジレンマから経営を救う「コンセプト」と「心の平穏」の関係性を紐解く。BtoBビジネスの本質である「株式会社」という、「最も現金でフェアな相手」に対し、他社に真似できない「Different」をどう追求していくべきなのか。それによってもたらされる組織の予見性と意思決定の確信について、冷徹な経済のロジックから語り尽くす。
コンセプトの不在は「心の平穏」を奪う ── ユニクロとホンダに学ぶトレードオフ
酒井:組織がプロセスの「理解」を放棄した瞬間に判断や意思決定の過程がブラックボックス化し、見えない負債が蓄積していく。これはまさに、我々が向き合っている契約業務の領域でも今起きようとしている、極めて重大な危機だと感じます。
一方で、経営者として日々現場でお客様と向き合っていると、こうした中長期的な時間軸を踏まえたリスクや、このリスクに対する本質的な思想やコンセプトの重要性と、市場のリアルな反応との乖離に頭を悩ませることがあります。営業の現場では「明日の実務が楽になるこのボタンを付けてほしい」「競合製品にあるこの機能の実装が必要になる」という、表層的な機能比較を突きつけられる局面も少なくありません。この目先のニーズと、本質的思想のジレンマに、経営はどう向き合っていくべきなのでしょうか。
楠木氏: 短期的には、そういうことは必ず起こります。しかし、そもそも企業の目的とは何かといえば、私は一貫して「長期利益の創造」だと思っています。一瞬だけ儲けるのであれば、極論を言えばどんな手段でも取れます。お客様を騙して儲けることもできれば、従業員を泣かせて利益を出すこともできる。ですが、そんなものは長続きしません。どうすれば長い期間にわたって儲かり続けられるのか。あらゆる経営判断の基準は、常にそこに置かれるべきです。目先のニーズに振り回されて機能開発を急ぐことが、本当に長期利益につながるのかを冷徹に見極めなければなりません。

ここで特に重要なのは、「どこかが勝つことは、どこかが負けることではない」ということです。商売は、戦争やスポーツのようなゼロサムゲーム(誰かの得が誰かの損になるゲーム)ではなく、プラスサムゲームです。それぞれが異なるポジションを取っていれば、一つの業界の中に複数の勝者が同時に存在できます。
例えば、洋服の小売でいえばユニクロもZARAも偉大な勝者ですが、ユニクロはZARAを倒そうとしていないし、ZARAもユニクロになろうとしていません。もし「競合に顧客を取られてしまうのではないか」と常に恐怖を感じて焦っているとしたら、それはまだ自分たちの戦略が固まり切っていない証拠です。
本田 宗一郎氏がホンダを創業して二輪で世界を制した後、いよいよ四輪車に参入することになった際のエピソードがあります。エンジニアたちが「こうすればトヨタに勝てる」「日産を追い越せる」と熱く技術論を交わしている様子をずっと聞いていた本田氏が、最後に一言だけこう言ったそうです。「それさ、トヨタにやってもらった方がいいんじゃないか」と。
これが戦略です。お客様が求めているのがそれであっても、自社が行うべきでないと判断すること。ユニクロの場合であれば、「うちではなく、300メートル先にZARAがありますからそちらへどうぞ」と胸を張って言えること。自分たちは何者で、誰に、どんな価値を提供しているのかが明確だからこそ、向いていないお客様には「うちは違います」と言える。そして、戦略があることの最大の効用は、実は「心の平穏」です。戦略がないと、競合が何かを始めたら自分たちも追随しなければいけない気がして、ゼロサムゲームの泥沼に入り込んでしまいます。でも戦略があれば、「ああ、それはあの会社の役割ですね。うちは別の価値を提供しているので」と、心の平穏を保っていられます。
酒井: もう一段踏み込んでこの点について伺いたいです。例えば、アパレルのようなすでに巨大な市場が存在している場合と異なり、スタートアップが取り組む領域の場合には市場自体がその時点ではまだ小さいというケースもあります。小さい市場を独占することを狙うように、あえて小さい市場から入っていくケースもあると思います。我々が取り組んでいる、契約業務を単なる管理業務として捉えるのではなく、組織の「合意形成のインフラ」という知的資産に変えていく市場は、徐々に企業の投資金額が増えていっているとはいえ、まだ市場そのものを大きくしていかなければいけない時期にあります。このように市場を創り出している最中のスタートアップであっても、顧客を絞り、戦略を選び続けるべきなのでしょうか。ここに大きなジレンマを抱えるタイミングもあります。

楠木氏: いや、それはジレンマがあった方がいいのです。むしろ、ジレンマがあるからこそ戦略的な意思決定ができます。あちらを取ればこちらが取れない、トレードオフ(二者択一)があるからこそ、初めて経営者が「今回はこっちにしよう」と決断する意味が生まれます。もしジレンマがなくて、どっちも綺麗に取れるイージーな状況なら、経営者なんて要りません。
私が言う「ストーリーとしての競争戦略」というのは、面白おかしく語るストーリーテリングの話ではなく、「こうやって、こうやって、こうやったら長期的に儲かるよね」という意思決定の連鎖、すなわち戦略の因果論そのもののことです。そして、お客様に対して時間をかけて伝え続けなければいけないのは、そのストーリーの起点にある「コンセプト」です。
ユニクロで言えば「服は生活の部品である(LifeWear)」というコンセプトです。だから洋服で個性を発揮したい人はZARAへ行ってください、となる。このコンセプトを伝えるために、彼らはCMから店舗設計、プロダクトにいたるまで、あらゆる顧客接点で一貫してメッセージを届け続けています。一方で、「素材開発のために大手企業と組む」「他社に真似されないように素材を買い取る」といった裏側の戦略ストーリーは、お客様に説明する必要はないし、お客様もそこには関心がない。
お客様自身も「なぜユニクロで買っているのか」を明確には言語化できないけれど、「なんとなくユニクロがいい」と自然に手に取っている状態。それこそが、本当の意味で強いコンセプトであり、他社が模倣できない競争優位性となるわけです。

株式会社は「最も現金でフェアな相手」である
酒井: コンセプトはお客様自身が完璧に言語化できている必要はなく、日々の選択の中に自然と染み込んでいる状態こそが強い、というお話は非常に腑に落ちます。その上で、我々が主戦場としているBtoB(法人向け)ビジネスにおいては、このコンセプトをどのように届けていくべきなのか、という壁にぶつかることがあります。
思想やコンセプトがプロダクトづくりや組織づくりの軸として重要であることは理解しています。ただ、顧客獲得や事業成長という観点で見たときに、それらは本当に顧客に「売れている」のでしょうか。それとも実際には、顧客は機能やROIを買っていて、コンセプトやストーリーは後から意味づけとして機能しているだけなのでしょうか。
特にBtoB企業において、コンセプトやストーリーはどのタイミングで、どの程度の強さでビジネスに効いてくるのか。その境界線をどう捉えるべきなのか、お考えを伺いたいです。

楠木氏: 顧客のメインターゲットが株式会社であるという前提に立つならば、「株式会社」の本質は世界中どこに行ってもまったく同じです。
株式会社という生き物は、極めて「現金(げんきん)」な性格を持っています。企業活動の最終的なゴールは長期利益の創出にあります。私は、これほど合理的で、かつフェアな相手はいないと思っています。
だからこそ、BtoBビジネスにおいて思想やコンセプトを語る際、絶対にやってはならないのが「私たちはこんなに素晴らしい世界を目指しています」という、道徳や情緒に訴えかけるようなアプローチです。そんな絵空事を聞かされても、合理的な株式会社の意思決定者は困ってしまいます。「それで、うちの利益は増えるの?」という話にしかならないからです。
企業が中長期的に儲かるための論理は、実は2つしかありません。顧客が喜んで高いお金を払ってくれる価値を作って「WTP(支払意向)」を上げるか、あるいは徹底的に「コスト」を下げるか。この2つだけです。
例えば、もし、Hubbleの提供する価値が、単に「契約書を綺麗にファイリングして、探す時間を5分短縮する」というレベルの利便性にとどまるのであれば、それは単なる効率化ツールです。そして、効率化ツールであるならば、お客様から徹底的な低価格競争と機能比較を突きつけられるのは当然の宿命です。なぜなら、その程度のコスト削減のためのツールに高いお金を払う企業はないからです。

酒井: まさにその通りですね。機能の有無や価格だけで比較される土俵に上がってしまうと、スタートアップは資本力のある大手に勝てなくなります。
楠木氏: だからこそ、正面から「どちらが中長期的に儲かるか」をロジックで語らなければなりません。
Hubbleが目指すべきは、単なる「作業の効率化」ではなく、契約の背景にある意思決定の意図やプロセスを組織の知的資産として残し、過去の「理解負債」を解消すること。それによって、企業が次に新しいビジネスを展開する際のリスクを減らし、よりスピーディで確実な意思決定を可能にすること、つまり企業の「攻めの基盤」を作ることのはずです。
これはコスト削減ではなく、企業の未来の「WTP(価値)」を上げるための投資です。「うちのコンセプトを導入すれば、御社が中長期的に一番儲かりますよ」という因果論を、情緒ではなく冷徹な経済のロジックとしてディシジョンメーカーに提示する。株式会社という「現金でフェアな相手」に対しては、この経済合理性のストレートな勝負こそが、最も深く、確実に刺さるアプローチになるのです。
「Different」の追求 ── 合意形成のインフラへ
酒井: 株式会社が「最も現金でフェアな相手」だからこそ、情緒的なビジョンではなく、「御社が中長期的に一番儲かるインフラがこれである」という経済合理性の因果関係をロジックで証明し、正面から語り切る。この視座は、我々が単なる「契約書管理ツール」から、企業の「合意形成のインフラ」へと脱皮していくための決定的な確信になります。
テクノロジーがどれだけ進化しても、企業の本質が長期利益の追求であるならば、我々が提供すべきは目先の作業時間を削るだけの「Better」ではなく、他社には決して真似できない「Different」でなければならない。このコモディティ化の濁流が押し寄せる時代において、企業が「Different」であり続けるために、経営者が最も見失ってはならない拠り所とは何でしょうか。

楠木氏: 戦略の本質とは、まさに「Different」であることです。他社より優れている(Better)ことを競うのは単なるオペレーションの効率化であり、それはすぐに真似されます。本当の競争優位は、他社と違っている(Different)ことからしか生まれません。
そして、これから生成AIがあらゆるビジネスの現場に浸透していく世界において、何が最大の「Different」になるのか。それは、ここまでお話ししてきた「人間の『理解』を助けること」に他なりません。
皮肉なことに、生成AIという「もの凄く便利で、念入りに凡庸なテクノロジー」を使えば使うほど、世の中のほとんどの人間は自分で思考することをやめ、ブラックボックスに意思決定を丸投げするようになります。つまり、放っておけば世の中全体に「理解負債」が自動的に、かつ大量に蓄積していくのです。車に乗りすぎて足が弱くなるように、人間はテクノロジーによって必ず退化します。
世の中の多くの企業が、中身を理解しないままAIが作った契約書を交わし、AIが弾き出した結論に依存して、組織の足腰を弱らせていく。そうして周囲が勝手に凡庸化し、思考を放棄して理解負債を溜め込んでくれるからこそ、きちんと自分の頭で「理解」を保持しようとするプロフェッショナルや、その理解を支えるプラットフォームの価値は、相対的に爆発的なインフレを起こします。
だから、目先のブームや機能のコモディティ化に一喜一憂する必要はまったくありません。自らの思想(コンセプト)を信じ、長期利益の論理を冷徹に貫き通すこと。外在的な価値基準がない中で、それでも「自分はこれがいい」とリスクを伴う意思決定を下すこと。それこそが、これからの大転換期を生き抜く経営者に求められる、唯一の普遍的な姿勢なのです。

酒井: 我々が提供すべきは単なるスピードではなく、なぜその契約が結ばれ、どのような議論を経てその文言に落とし込まれたのかという、組織の「理解のプロセス」を可視化し、知的資産として蓄積するインフラになること。さらにこれらを一連の顧客体験に落とし込み、一つのストーリーとして磨き込み、顧客の長期的利益に繋げること。これこそが、他社がどれだけ機能を模倣しようとも絶対に追いつけない、Hubbleとしての「Different」の思想なのだと、改めて強く腹に落ちました。
楠木氏: 日々、意思決定の中でそのような迷いやジレンマが生じているのは、経営者がやるべき仕事をしているということです。迷いがなかったら、それは戦略ではありませんからね。経営者以外がやればいい話です。
対談を終えて
生成AIの進化によって、これから多くの機能やスキルは急速にコモディティ化していく。だが本対談を通じて浮かび上がったのは、競争優位の源泉が失われるのではなく、その所在がより深い場所へ移動しているという事実である。
AIは答えを生成できる。しかし、何を問い、何を理解し、どの違いを選ぶのかまでは決めてくれない。だからこそ企業には、コンセプトを持つこと、自らの事業や顧客を理解すること、そして理解を組織の中に蓄積することが、これまで以上に求められる。その意味で、これからの競争は「情報を持つ企業」同士ではなく、「理解を持つ企業」同士の競争になるのかもしれない。
そして私たちが、まさにその問いの最前線に立っている。私たちがいま向き合っている契約業務は、企業活動の意思決定やリスク判断が凝縮された領域である。そこには単なる文書管理ではなく、「組織が何を理解し、何を理解できなくなっているのか」という経営そのものの課題が存在する。
本対談はAI論でもSaaS論でもない。変化の激しい時代において、企業は何を拠り所に意思決定を行うのかという、経営の本質を問う試みである。そして、その問いを顧客とともに探究し続けようとする姿勢こそが、Hubbleのコトへの向き合い方そのものである。
対談者プロフィール
楠木 建(Ken Kusunoki)経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座・シグマクシス寄付講座)。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022年、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年、日経BP、杉浦泰との共著)、『ストーリーとしての競争戦略―優れた戦略の条件』(2010年、東洋経済新報社)などがある。
酒井 智也(Tomoya Sakai) 株式会社Hubble 取締役 / CLO / 弁護士(67期/第二東京弁護士会所属)。2013年慶應義塾大学法務研究科(既習コース)卒業後、同年司法試験合格。東京丸の内法律事務所でM&A、コーポレート、スタートアップ支援・紛争解決等に従事。2018年6月より、Hubble取締役CLO(最高法務責任者)に就任。2020年に立ち上げた「OneNDA」の発起人。
(取材日:2026年6月 / Editing & Text by Hubble Brand Communications / Photo by Naoya Takahashi)