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PERSPECTIVES Vol.1:【前編】AIは競争優位を破壊するのか ── 念入りな凡庸(コモディティ)の時代に、組織の「知性」をどう編み上げるか

生成AIの急速な普及と進化は、ビジネスの前提を根底から揺さぶっている。とりわけ急成長を遂げてきたSaaS業界においては、いわゆる「SaaS is Dead」の論調が現実味を帯びて語られるようになった。機能の側面でいうと、ソフトウェアは容易に模倣可能になり、画面の使いやすさ(UI/UX)や、搭載されている機能といったプロダクトの表層的な差分が瞬時に縮小し、どのシステムも均質化していく。こうした時代、企業が築くべき「真の競争優位」はどこへ向かうのか。

スタートアップ経営という旅路と、その根底にある思想に迫るインサイトメディア『Journal』。その対談企画である『PERSPECTIVES』では、Hubble経営陣が各界のトップランナーを迎え、ビジネスの大きな潮流のなかで、「普遍的な問い」を提示していく。その第1弾として、著書『ストーリーとしての競争戦略――優れた戦略の条件』や『逆・タイムマシン経営論』などで知られる経営学者の楠木 建氏を迎え、Hubble取締役CLO 弁護士の酒井 智也が、技術の大転換点における経営の本質について対談した。

効率化や自動化が進むこれからの時代において、企業が「変えてはならない本質」とは何か。単なる利便性の追求を超え、企業の意思決定と「合意形成のインフラ」を目指すHubbleの思想と、時代に流されない普遍的な経営の論理を貫く楠木氏の視座から、組織に求められる「理解」の価値を解き明かす本対談を、前編・後編の2回にわたりお届けする。

まず前編となる本記事では、「SaaS」「AI」というカテゴリー思考の罠を暴き、生成AIの台頭によってあらゆる組織に蓄積し始めている現代のサイレントキラー、「理解負債」の恐怖と本質に迫る。

「カテゴリー思考」の罠 ── 30年前のインターネット黎明期とのアナロジー

酒井: ここ1、2年、AI技術の急速な台頭にともなって、我々のようなSaaS企業は一つの終焉を迎えるのではないかという「SaaS is Dead」の論調が盛んに語られています。プロダクトの機能の観点からいうと、AIによってソフトウェア開発の難易度が下がり、我々が作ってきた機能も競合にすぐ模倣され、プロダクトが均質化していくという見方です。確かに表面的にはそのように見える側面もあります。

一方で、そもそも機能そのものは長期的な競争優位性を生み出さない、という本来の「競争の本質」に立ち返るフェーズに入ったのではないかと考えています。この変化の潮流について、楠木先生の目にはどのように映っているでしょうか。

楠木氏: もちろん機能は大切です。しかし、顧客が買っているのは特定の機能そのものではなく、さまざまな機能やそれ以外の要素も含めた「総体としての価値」です。したがって、特定の機能イコール価値ではありません。

その前提で申し上げると、「SaaSはダメだ」とか「いや、SaaSはまだいける」といった議論は、典型的な「カテゴリー思考」です。物事を個別の『論理』で深掘りせず、『SaaSだからこうだ』『AIだからこうだ』と大雑把な箱の分類だけで一括りにして考えてしまう。そこにはロジックがないのです。かつて「これからはソフトウェアが儲かってハードウェアはダメだ」と言われましたが、実際には全然儲かっていないソフトウェア企業もあれば、NVIDIAのように腰が抜けるほど儲かっているハードウェア企業もあります。重要なのはカテゴリーではなく、なぜ儲かるのかという個別の「論理」です。

なぜこのようなカテゴリー思考が生まれるのかといえば、投資家をはじめ人間は、見なければならない対象の数が増えるほど、思考を節約するために「SaaSだからこうだ」「AIだからこうだ」と箱に置き換えて考えてしまうからです。もし競争の論理がテクノロジーの登場によって簡単に変わるのであれば、それは最初から論理とは呼びません。AIが登場しても、企業が選ばれる理由や競争優位の本質はまったく変わりません。

酒井: あえて疑問を呈すると、競争の論理そのものは変わらないとしても、環境変化や業界によって、その論理の適用のされ方や強弱が変わることはあるのでしょうか。例えば、法律の世界でも同じ条文や原理であっても、新しい事象に対しては類推適用や解釈のアップデートが積み重なります。生成AIという大転換点において、論理の適用の仕方が変わり、価値の作り方に変化は存在しないのでしょうか。

楠木氏: 論理に向かって動いている現象はもちろん変わっています。ただ、みんな「これからどうなるのか」という未来の話ばかりをしますが、実は答えのほとんどは「過去」にあります。私はこれを「逆タイムマシン経営」と呼んでいます。

例えば、私がリアルタイムで経験したインターネットが登場した頃、ビジネス誌は「インターネットによってこれまでの経営は通用しなくなる」と煽っていました。「他人が知らない情報を知っていること」で儲けていたビジネスは成立しなくなる、と。しかし実際には競争の本質まで変わることはありませんでした。あまりにも便利で基盤的な技術だからこそ、最終的には空気のような存在になったのです。40年前に表計算ソフトが登場した際も「会計士は絶滅する」と言われましたが、現実にはこの40年間で会計士の数はむしろ4倍に増えています。

新しい技術が登場すると、人はすぐに「この仕事はなくなる」「この業界は終わる」と考えがちですが、現実にはそう単純にはなりません。生成AIによって仕事のやり方は大きく変わりますが、経営の論理そのものが根本から書き換わることはありません。むしろ、これまで見えにくかった企業の本当の価値や、本当の競争力が、より鮮明に問われるようになるだけです。

生成AIの本質は「念入りな凡庸」 ── なぜプロフェッショナルの価値は毀損しないのか

酒井: 長い時間軸で捉えると、技術は空気のようになっていくという歴史的ファクトは非常に腑に落ち、それを前提に事業を創っていくことの正しさは理解できます。一方で、今まさにスタートアップを経営している立場からすると、目の前の競争に勝ち続ける必要があります。プロダクト開発でいうと、他社にない機能を少しでも早く開発し、短期的な競争力を短い周期で生み出し続ける必要があるという考えも生まれることがあります。

あらゆる出力や機能が瞬時に均質化していく生成AI時代において、「他社に模倣できない真の競争優位性・企業の価値」とは、一体どこに宿るのでしょうか。

楠木氏: 最近、そのことを強く実感した出来事がありました。歴史家の保阪 正康氏や政治学者の御厨 貴氏といった専門家が集まり、『文藝春秋』で「なぜ日本の戦争終結はあれほど遅れたのか」というテーマで座談会を行う機会がありました。非常に重い論点ですので、私は当日、その座談会に臨む前に、ふと思い立って生成AIに同じ質問を投げてみました。

最初はAI特有の箇条書きの回答が返ってきたので、プロンプトを工夫して「箇条書きではなく、それぞれの理由の相互関連性を十分に考えた上で、最も本質的だと思う要因を特定し、なぜそれが本質的なのか説明してください」と指示し直しました。すると、たちどころにそれらしい、一見見事な回答が返ってきたのです。

もし私がそのAIの答えを自分の意見として座談会で発言したら、その場で私の学者生命は終わると思いました。論理的に中身が浅いからです。

生成AIというのは大規模言語モデルである以上、本質的に「平均回帰的」です。確率論的に「次に来る最もありそうな言葉」を予測しているだけなので、考えているように見えて、実際には思考していません。だから、どうしてもデータの中央値へ回帰していきます。その結果として、もの凄く凡庸なのです。技術が未熟だから凡庸なのではありません。全力で、念入りに陳腐なのです。これがLLMの動かしがたい性質です。

一方で、ビジネスの競争の中で価値を生み出すということ、あるいはプロフェッショナルが提供する本当の価値とは何かといえば、それは常に「中央値からの乖離」にあります。だから、自分の頭できちんと考えて乖離を作れるプロフェッショナルにとって、生成AIはまったく脅威になりません。

インターネットが普及して文章の供給量が爆発的に増えた結果、人間が自分で考えてインパクトのある文章を書く能力が衰退し、きちんと書ける人の価値が逆に上がったのと同じ現象が起きます。生成AI自身は思考していないのに、人間が思考を代替させようとすれば、車に乗り続けて足が弱くなるのと同じで、人間の思考能力は衰えていきます。だから、「どうぞ皆さんAIに考えさせてください」と。きちんと自分の頭で考えるプロフェッショナルにとっては、ますます商売繁盛の時代がやってきます。

現代のサイレントキラー「理解負債」

酒井: AIの出力には「ざらつき」がなく、最大公約数的で無味乾燥なものになりやすいという感覚は、私自身も日々プロダクトに向き合う中で強く感じていたところです。プロフェッショナルの価値が「中央値からの乖離」にあるというお話は、個人だけでなく、法人としてのソフトウェア開発やサービス設計にもまったく同じことが言えるのではないでしょうか。

ベースとなるAIの出力や機能がコモディティ化していくからこそ、その上でどういう哲学や思想を持ってAIを活用し、平均値からの差分を設計するかという個社の「思想」が、これからますます重要になっていくという理解でよいのでしょうか。

楠木氏: そうです。ただし、それを必要とするお客様もいれば、「そこまでの違いはいらない」と考えるお客様もいます。誰を顧客にするのかというターゲット設定は戦略の初期段階の話ですが、AIの普及によって、これから顧客やビジネスの現場で確実に起きる構造的な問題があります。それが、ソフトウェア開発の世界で言われ始めている「理解負債」という現象です。

AIを使えば、もの凄い勢いでコードが生成されますし、とりあえずシステムは動いてしまいます。しかし、人間の理解が追いついていません。従来からある「技術的負債」であれば、バグや設計の甘さに対して「いつか直さなければいけない」という人間の自覚がありました。ところが理解負債は、コードの中身やブラックボックスの中身が分からなくても、表面上は動いてしまうがゆえに、何が問題なのか誰も分からない状態のまま進んでしまいます。

これがある日突然、システム全体がおかしくなったときに、なぜそうなったのかも分からないし、どう直せばいいのかも分からないという「フランケンシュタイン化」を引き起こすのです。

私は、人間がAIを使えば使うほど、この理解負債があらゆるビジネスの現場で蓄積していくと思っています。例えば、契約や意思決定の現場でも、AIが「この契約書でOKです」と言ったからという理由で、中身や経緯を誰も理解しないまま承認ボタンを押す。表面上は業務が高速化したように見えますが、組織には恐ろしいほどの理解負債が溜まっていきます。だからこそ、そのブラックボックスを暴き、組織に「理解」を提供できることには、とても大きな価値があります。それはこれから、非常に強い競争優位性になるはずです。

(後編に続く)

対談者プロフィール

楠木 建(Ken Kusunoki)経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座・シグマクシス寄付講座)。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022年、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年、日経BP、杉浦泰との共著)、『ストーリーとしての競争戦略―優れた戦略の条件』(2010年、東洋経済新報社)などがある。

酒井 智也(Tomoya Sakai) 株式会社Hubble 取締役 / CLO / 弁護士(67期/第二東京弁護士会所属)。2013年慶應義塾大学法務研究科(既習コース)卒業後、同年司法試験合格。東京丸の内法律事務所でM&A、コーポレート、スタートアップ支援・紛争解決等に従事。2018年6月より、Hubble取締役CLO(最高法務責任者)に就任。2020年に立ち上げた「OneNDA」の発起人。

(取材日:2026年6月 / Editing & Text by Hubble Brand Communications / Photo by Naoya Takahashi)

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